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若い鷹と老いた蝉 [サシバ]

 生まれてこのかたずっと…と言ったら嘘になるのだが、私の生涯はまるで闇の中だった。この世界に生を受けた瞬間こそ眩しかったが、むしろその眩しさから逃れるように地中に潜ったのだ。それ以来、自分に目があることすら忘れるくらい長い間、ずっと闇の中で木の根の汁なんぞを吸いながら過ごしてきた。退屈だったわけではない。鼻を利かせ、耳を澄まして送る毎日に、決して不服があったわけではない。しかしながら今にして思うのだ。
「ああ、私は飛べたんだ!」と。

 そなたには親があるであろう。そなたが固い殻を内側から破ろうと叩いた時、すかさず外側からつついてくれた親が。腹が減ったと泣いて叫べば食い物を運んでくれる、飛び方や獲物の捕まえ方などを何度も何度も繰り返しやって見せてくれる親が。そなたは親の姿を見、それに倣って立派に成長するがよい。
 私は私の親の顔を知らないのだ。私の親は、私を生んですぐ、私にまだ目すらない頃に死んだ。おそらく今の私と同じような姿をしていたのだろうとは思う。しかし、なんという悲しさだ。そなたとはまるで逆ではないか。自分や自分の仲間の姿を見て初めて、見知らぬ親の風貌に思い至るとは。
 愚痴を言っても始まらない。何も始まらないどころか、私の命はもうすぐ尽きることになっているらしい。そなたと同じように大空を飛び回ることのできる羽を持ち合わせてはいるのだが、それに気付くのが遅すぎた。もっぱら子孫に命を繋ぐため。こっちの枝からあっちの幹へ、飛び移っては歌っている。こうして命を繋いだ子孫も、私の顔など記憶するはずもなく、数年後に今の私と同じ思いを抱くのであろう。
 若いそなたには何のことやら理解に苦しむ話が長過ぎたかもしれない。そろそろ本題に入ろう。
先ほども申した通り、私は間もなく死ぬ。命の限り鳴いて飛んで地に転がれば、蟻の餌食となってまた暗闇の世界だ。そこで頼みがあるのだ。

 私を食ってくれないか。

 願わくはそなたの血肉となって海を越えん。

若い鷹と老いた蝉.jpg

弱肉強食 [アトリ]

自然の猛威とか言ってるようだけんどが
いうなれば人間の愚かさだべな
堤防の弱さは昔からわかってたんだからよ

米さ作る田んぼは百姓が作るべな
んじゃ田んぼさ守る堤防も百姓に作れっつうんけ?
ここの田んぼの爺様は はぁ もう ヤだと!
『こんなメにあうんだから』っつって 孫には継がせねぇ事決めたんだと

それにしても 水はおっかねぇ
大事なモンはみんな持ってっちまって
要らねぇモンばかり置いてきやがる

やっとこさ実った大事な米の上によ
石っころや大木や瓦礫ばかりじゃねぇ
ドラム缶に古タイヤ、冷蔵庫、洗濯機…

したら今度ぁその米を食いにアトリが来やがった
したら今度ぁそのアトリを食いにタカが来やがった
したら今度ぁそのタカを撮りにおおぜぇヒトが来やがった

弱肉強食.jpg

群れ [アトリ]

ひと塊の群れというのはやはり
ひとつの生命体のように思えてならない
ひとつひとつの細胞がみな生きているのと同じように
一羽のアトリはその担った役割を果たしながら生きている

前頭葉はどいつだ?
下垂体はどいつだ?
ランゲルハンス島はどいつだ?
副腎皮質はどいつだ!?

アトリは分泌する
ホルモンが作用するように鳴き交わす
アトリは代謝する
生まれてきた分くらいが死んでいく
アトリは欠損する
しかしかさぶたが剥がれるように再生する

擦ればポロポロ落ちる垢のように
小さなアトリは死んでいく
巨大なアトリはと言えば
お陰さまで至って健全である

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天国と地獄 [アトリ]

春一番が吹き
そろそろ米作りの準備が始まってもよさそうな田に
刈り取られなかった稲がいまだに頭を垂れている

押し流されてきた大木は
かつて大地を掴んでいた根を
畦に引っ掛けて止まった姿のまま
もう5か月も横たわっている

線状降水帯がもたらした長時間にわたる土砂降りの雨は
平時にあっては恵みの川を暴れ狂う竜に変えて
かねてから弱いとされてきた堤を破り
豊穣の田園を舐めつくした

あれから5カ月

数万、数十万…見当もつかないほどのアトリがやってきた
群れはそれ自体が何か一つの巨大な生き物のように
時折むくむくと起き上り徘徊してはまた崩れ落ちるように
倒れた稲の原に吸い込まれては米粒をついばんでいる

無限にも思えるアトリを追って集まってきたノスリ、ハヤブサ、チョウゲンボウ
アトリの油断や隙を狙っているというよりは自身の腹が減るのを待っている

タカがアトリを食い
アトリが米を食い
米は大地を吸って育った

先祖代々受け継がれてきた土地に沁みついた
そこで生まれて死んでいった人々の血や汗や涙や魂やいろんなものを
吸い上げて米は実った

米をアトリが食い
アトリをタカが食い
この土地に脈打ってきた魂は空に還っていくのだろうか

天国と地獄.jpg

その瞬間 [ハクチョウ]

僕を含めて3人がその瞬間を待っていた
2人は初老の夫婦のようだ

風よけになるものも何一つなく
からっ風吹きすさぶ川原で
首から提げたカメラのシャッターボタンに
凍えた右手の人差し指を添えたまま

一番川上の崖の上に僕
続いて御婦人
川下のなだらかな砂利の斜面にお父さん
およそ20メートル間隔に並んでその瞬間を待っていた

白鳥はと言えば暢気なもので
羽ばたいて見せるものもあれば
首を巻いて居眠りをするもの
川底の餌を探して白菜のようになっているもの
流れに任せて川下に下るもの
といった具合で一向にその気配を見せない

いつ諦めて帰ろうか…
あの夫婦が諦めて帰ったらもう10分ねばろう
それでも駄目だったら僕も帰ろう…

白鳥は一向にその気配を見せない
夫婦も一向にその気配を見せない

つま先が冷たい
洟が流れる
僕は足踏みをしてフードを深く被り直す

白鳥が撮りたくて来たのではあった
しかしいつしか僕はこの人たちのひたむきな背中が撮りたくなっていた

僕は最前線を離れ河川敷の端に移った
そしてファインダーをのぞき
御婦人の背中をフレームに確認したその時だ

その瞬間は突然訪れた

彼女たちは良い写真が撮れたはずだ
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白鳥はいつ渡るか [ハクチョウ]

いつ頃のことであったか、またどこでだったかはっきりとした記憶がなく、あるいは夢であったのかもしれないのだが、タバコが吸いたくなっておもてに出た時のことだ。それが夜であったことだけは確かである。頭上を移動する耳慣れない音があったので見上げると、スズメやカラスが飛ぶのよりずっと高い所を、『く』の字に隊列を組んだ白い鳥の一団が過ぎて行った。耳にしたのはそれらの羽ばたきの音に違いない。十数羽はいただろうか。仄かではあったが、羽ばたきに合わせてキラキラと明滅するように見える群れが上空を流れていく様は、美しく優雅で神々しくさえもあった。現実のものとは思えない光景だったがために、夢なのかもしれないというような曖昧さを拭い切れないのかもしれない。
おぼつかない記憶であるにもかかわらず忘却できないのは、あの時『あぁ、白鳥は夜飛ぶのか。』と思ったことによる。果たして白鳥はいつ渡るのだろう。
「夜飛んで道が分かるのだろうか。」というのは視覚を過信する傾向にある人間ならではの疑問であろう。目に見えるものを頼りに辿るにはあまりにも長い道のりではある。しかし見えない力に導かれて飛ぶならば、昼間に飛んでも同じことではないか。あえて夜を選んで飛ぶだろうか。
昼間に飛ばない理由。こじつけるなら体温か。私自身、長距離を走るのが苦手だからそう感じるのかもしれないが、白鳥にとっても飛ぶということは相当に体力を消耗することに違いない。脱ぐことのできないダウンジャケットをまとって激しい運動をしなければならないとき、昼夜どちらを選ぶだろう。私だったらお日様のもとではおそらく5分ともたないし、休憩のたびに水とタバコで目的地に着く前に次の冬が来てしまいそうだ。夜だったら少しは頑張れるかな。白鳥が白いのもそのあたりに理由がありそうだ。
などととりとめもない想像をめぐらせてみたが、果たして白鳥はいつ渡るのだろうか。昼か、夜か。
『白鳥は夜飛ぶのか』と思いながら白い鳥の群れが行くのを見たのは、夢の中でのことであったか。
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強さとは何か [ハクチョウ]

群れは20羽になっていた。
20羽ともなると飛翔の姿にも豪快さが増す。海を渡る不思議など、人間の思い上がりに過ぎないと思い知らされる。『はるかシベリアから渡ってくるなんてすごい!』と思ってしまうが、すごいヤツだけが辿り着くことができ、すごいヤツだけがまた渡って帰っていくことができるだけのことなのだ。
彼らは必要があって飛び、当然のこととして数千キロを渡る。彼らはそれをしないと滅んでしまうのだろ。

弱くても生き残れる術を次々と編み出してきた人類の目には、彼らの強さが驚きとして映るのだ。
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首を長くする [ハクチョウ]

首を長くする理由は何だろう。

深い所に落ちている美味しい物に届くためなのか
風を読むには少しでも高いほうが良いからだろうか
長く真直ぐ飛ぶために理にかなった方向舵なのか
大きな翼に反して短い脚を補って羽を繕うためなのか

使わないときに邪魔な水撒きホースの必要な長さのように
愛おしそうに自らの身体の上に巻いて彼らは物憂げに眠る

もしかして最も美しいフォルムのため?

あるいは待ち焦がれる春のせい?

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ねぐらへ帰る [ハクチョウ]

朝、エサ場の田んぼに来て、夕方ねぐらの川に帰る…そのリズムがこの冬は狂ってしまったようだ。
去年までと違って浅くて狭い田んぼにはなかなか姿を見せず川にいることが多い。去年までの田んぼは広くて畦が高いので深くもできたが、昨秋9月の豪雨で溢れた川の水を被ってしまったから、この時期に手入れをしなければ春からの農作業に支障があるのだろう。今シーズンは一枚上の田んぼが選ばれハクチョウのために水がはられたわけだが、浅ければ凍りやすいし、着水するにも飛び立つにも狭いよりは広いほうが良いに決まっている。皮肉にもねぐらの川の方は豪雨のために、コンクリートの護岸が壊れ、緩やかなカーブの外側がえぐられたので、更に緩やかなトロ場が出来上がっていてハクチョウが翼を休めるにはもってこいの場所になっている。最近はこちらでエサを撒く人もあるようだ。
この冬、何度となく会いに行っているが、田んぼの方で会えたのは1度だけ。田んぼにいさえすれば、必ず夕方飛んでくれるのだが、川にいるときはそのまま飛ばずに夜になってしまうこともありうる。カメラを片づけたら直後に飛びそうな気がして、撤収する機をつかめずにあてのない期待だけでカメラをぶら下げ川風に吹かれている。
さびしくもたのしい時間。
ひどく寒いと思ったら、明日は3月の陽気になるという。ハクチョウも戸惑うだろうな。目まぐるしく変わる天候の影響でどうなるかわからないが、例年であればあと1カ月とちょっと。何度会いに行けるだろう。飛ぶ姿を何度見られるだろう。。。しかし壊れた護岸はいつまでもこの状態とは思えない。工事が入れば安住の地ではなくなるはず。その時田んぼはどうだろう。次の冬もまた来てくれるといいな。
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無風 [ハクチョウ]

風さえあればその大きな翼を風上に向けて開くだけで宙に浮くのだろうが、風がない時はそうはいかない。凧と同じで走らねば揚がらぬ。
すぐ北側は丘になっていてその上は畑が作られている。その続きで西側には一段高い所に農家の建物が並んでいて、それを囲むかのように大きな木々が茂っている。東側には川があるので一段低いのだが、川原との境には垣根のように灌木が生え、ところどころ少し背の高い樹もあったりする。土地は南に向けてごく緩やかに傾斜しているが、川を渡る県道の橋があり電線も多い。、その向こうに白鳥たちがねぐらにしている川のトロ場がある。
それまで水を張った田んぼで餌を食んでいた白鳥たちが、鳴きかわしながら北側の陸にあがって行った。どうやら水面ではなく土の上を助走して飛び立つつもりらしい。短い助走で揚力を得るには、水上よりも陸上の方が効率が良いからだろうか。その分、脚の負担は大きいと思われるが、飛ばねばならぬ以上、なすべきことは限られてくるかのようだった。しばらくの間、どちらに向けて飛ぶのが良いか考えている様子だったが、一羽が走り出してからははやかった。
あっと言う間に一羽残らず全員飛んだ。同じ方へ飛んだ。
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